4月1日「謎のヘルメット」
変わったヘルメットを持っているお客さんが来た。真ん中が凹んでいるというより陥没している。小型の隕石でも落下してきたのかというレベルだ。
レジカウンターから少し身を乗り出して見てみると、陥没した部分に頭を守るクッションがついている。ということは、陥没した部分に頭を乗せるのか。そうすると、幼稚園児の帽子のようになってしまうぞ。あるいは、中世のヨーロッパ貴族か。
次のお客さんを見送ると、ヘルメットのお客さんが外で談笑している姿が見える。「あっ」となる。凹んだヘルメットのてっぺんが、ちょうど「めんつゆ」を捨てるときの角度ぐらいに傾いている。
「そうか!」。陥没したヘルメットは回転型になっていて、グルっと180度回すと、どこにでもあるヘルメットに変形するのか。なるほど、と同時に「なんのために?」。持ち歩くとき、頭頂部のもっこりがイヤなのか。
隣のパートさんと公共料金の手数料の話をする。近い将来、電気か、ガスか、水道の料金をコンビニ等で払うと「手数料を220円も取られんのよ」と憤っていた。銀行振り込みにしたらと言っても「めんどくさい」とのこと。「一年で220×12で2640円っすよ」と言ったら、一瞬考えたようになるも、渋い反応。
他のインフラが手数料を取るのも時間の問題ですよね、と話がよどみながら続く。「つまり電気・ガス・水道すべて手数料払ったら660×12で7920。手数料で一年7~8000円ってアホですよ」と、なぜか熱くなる。さすがに一万近い金額を聞いてパートさんも重い腰をあげてくれそうだ。「めんどくさい」も、長い目でに見るとバカにできない。
2日
夢で日記のダメ出しをされる。「まあ、見るだろうな」という内容。これで終わりかと思ったら、もう一つ見た。スーツを着た若い女の子が、道路わきにある排水溝のフタの穴に定形外の郵便を投函しようとしている姿を目撃する。

封筒は入り口で引っかかって入らない。「そこじゃないですよ」と言うところをなぜか「引っかかってますよ」と女の子に目で合図する。女の子は引っかかっていることに気づいて「すいません」と頭を下げたところで目が覚める。
朝起きてから肩が痛い。ブログの準備で12時間ぶっ通しでパソコンをいじってたからか。「日記2日目でドクターストップか」とやや焦る。
バイトスタート。しょっぱなから新入社員の人たちが列をなして並ぶ。そうか、入社式か。フレッシュなスーツ姿に微笑ましくなると思っていたら、店長がその新入社員の女の子に怒られている。
よく聞くと怒っているのではなくて「コピーするのに現金がない」とテンパっているようだ。いろいろ方法を考えるが見つからない。「どうしようどうしよ」と女の子は追い詰められて、店長は途方に暮れて、他のお客さん、店員はピリピリして、春休みの少年たちが店内をテンション高く走り回って、なかなかの雰囲気になる。
仕方ないから電子マネーを持っているとのことなので「電子マネーで何か買って、返品したら」と提案する。電子マネーで買った商品の返金は現金だからだ。なんとか平和が訪れたようだ。
銭湯に行く。湯舟で肩を揉みほぐすも、なかなかよくならない。脱衣所に出て「ああっ」となる。自分のロッカーの前で二人の外国人が体を吹いている。これは時間かかるな。その通り、不慣れな外国人の半端ないもたもた具合。
タオルを肩にかけてひたすら待つ。気づけば自分以外は誰もいなくなった、と思ったらうちわで不自然に体を仰いでいるおじいさんを発見。「この人もそうなのか……」。二人で外国人の真後ろに立ってプレッシャーをかけることもできるが、それはかわいそうだ。
一人は濡れたタオルを肩にかけて知らんぷりして、一人は股間をひたすらウチワで仰いでいる。「こういうオモテナシもあるのだな」と少しおだやかな気分になる。
帰り道、肩が軽くなっているのに驚く。なんでだろうと思って「あっ」となる。あの外国人を持っている間、肩に引っかけてたタオルが冷えて、湿布がわりになっていたようだ。
3日
こんな人がいた。ATMで細かいお金がいるから「1万円をくずして欲しい」とのこと。サングラスをした、強面のオジさん。コピー以外の両替はお断りしている。その旨を伝える。一通り文句を言って「じゃあコピー機で使うよ」。
仕方ないから、いくら小銭と両替するのか内訳を聞く。「千円札十枚」。ほら、コピーしないじゃん。コピー機でお札は使えません。「だったら、千円だけ小銭にしたらいいんだろ、ホント笑える」とのこと。渋々、両替する。気が変わって免許証のコピーするかもしれないし。
レジで両替を待っている間、その人はずっと「ホント笑える」を連発している。笑えるといって、笑っている人を見たことない。たぶん、むしろ怒っている。怒るほどのことじゃないのに、怒ってしまったことを気取られないように、平静を装っているのだろう。
両替がおわる。もちろん、その人はコピー機ではなくATMに直行。「コピーしないんですか」と聞きたくなる。怒るだろうな。それだったら「コピー以外はダメ」って言われたときに「コピーで使います」と言えないかな。揉めることじゃない。
こんな人もいた。レジの上にエコバックを置いて待ってい年オバちゃん。エコバックに気づくも、置いてある位置がオバちゃんの手元。「(エコバックに)お入れしましょうか」と言うか、一瞬迷う。「触らないで」というお客さんもいるからだ。
売り場で他のパートさんがお客さんの案内でごちゃごちゃしている。そちらが気になっているうちにレジが終わる。と、「なんで袋(エコバック)に入れてくれる人と、入れてくれない人がいるんですか」と、オバちゃんが荒々しくエコバックに商品を入れ始める。
「そうじゃないの、全然、怒ってないんだけどね、怒ってないの。でもどうしてかなって」。と、声を震わせながら笑顔を作る。なんすかね、エコバックの位置ですかね。パートさんが気になったからですかね。「てことは、空気を読んだのね」。それだとお客さんが怖いってことになりますが。
あと、もう一人(サービス業って大変)。電話の問い合わせ。何かのミスで入金が出来なくなったから、店頭で入金できるかという内容。分かりません。お店で入金するときはすべてお客さんで手続きをして、お店としては決済用のバーコードをスキャンするだけと伝える。
ややあって一言「あのしゃべって、いいですか?」と、ため息まじりの声が聞こえる。「ダメです」といったら怒るだろう。また同じ話を始める。会話が通じないとはこういう事か。
19日
プロフィールをウキウキしながら書く人のプロフィールは読みたくないな。
日記を書き始める前に、一度、プロフィールを書いた。プロフィールって他人の過去だし匿名だし、書くのも読むのも退屈だよね、的な内容だった。
最初のブロックで
って書いた。
それからアフィリエイト風に「この記事は〇〇な人におすすめ」なんて見出しつくって、一日のスケジュールを書いた。ほぼ寝てたってスケジュール。当日のスケジュールも立派なプロフィールでしょって。
付箋つけたり、マーカーで囲ったり、テキトーに書くつもりが、トータル21回もリライト(書き直し)してた。なんだかんだで「やっぱり違うか」と消去した。なんだったんだ、あの時間と労力。
プロフィールってつまり、読む人の安全・安心のためだねって結論で〆る。つまりフィルターってこと。それじゃ最初のブロックがフィルターになってそうだねって内容。
うーん、悪くないけどな。ちょっと、いきなり過ぎか。
8月2日
「どこまで自然で、どこまで不自然か」。その見極めは難しい。クーポンを手にした瞬間から「クーポンのない人生だったら……」と考えるが、すでにクーポンが手のひらの上にあるので、考えること考えることインチキくさい。
ほとんどのクーポンは見ないで捨てる。だいたい、いらない商品。いらない商品の値引きクーポンなんて、受け取る時間、捨てる時間がもったいない。
その場で引き換えるクーポンなら、それで終わりだから「いただきます」。クーポンとの付き合いはここで終わり。
その場で引き換えられないクーポンが困る。いっそ忘れてしまえばいいが、なかなか忘れない。忘れてしまったら、しまったで、「期限がすぎてるっ」と損した気分で暗くなる。気づかずにレジに出して恥をかいたら、踏んだり蹴ったりではないか。
あまりいい影響はなさそうだ。悲しいかな、目の前の「益」に抗えないのが人情だろう。正確にはもらったことより、うしなうことの方がイヤなのだが。クーポンでもらった商品のことを、後生大事に覚えている人がいるだろうか。
商店街でクーポンをもらう。500円以上買うとスタンプがもらえる。そのスタンプを3個集めると300円引きのクーポンとして使える。いままでいろんなクーポン企画が商店街であったが、すべて参加してない。もちろん、覚えていない。
でもこの企画は「おっ」と思った。同じ店のスタンプはダメ。3店舗それぞれ違う店で500円。楽しそうだ。しかも「300円」のクーポンはかなり、ありがたい。みんなそのようで、「今回が何回目だ?」というぐらい商店街も味をしめて、この企画を連発している。
気がついたら二つ、たまっていた。ドラッグストアとカレー屋さん。あと1店舗。ここまで自然といっていいだろう。問題はココからだ。商店街で500円を買う予定が、ない。なかったよな。この「なかったよな」は、すでに自然ではないだろう。
でもパン屋さんは行くよな。クーポンもらってなかったら行ってたか? スタンプが2個だったら、パン屋さんのことなんて考えないだろう。この逡巡が自然でないのは確か。
パン屋さんへ行く、という選択。クーポンもらってなくても行くようなリアリティもあるといえば、ある。実際、昼ご飯に何を食べるか決まっていないではないか。
クーポンがなくてもパン屋さんに行っていた可能性が高い。クーポンは関係ない。財布を持って出かけようとする。「あ、クーポン」と後ろめたさを覚えながらクーポンをポケットに入れる。
なるほど、パン屋さんには行ったかもしれない。クーポンを手にした時点で、その自然な未来は失われてしまったのだ。「あ、クーポン」といい、買いに行くまでの言い訳劇場といい、クーポンというのは、なかなかの罪作りな奴だな、と、関心はしないが、難敵なのは確か。
うまく使えば味方だろうが、やはりいらないといえば、いらない。クーポンはどこから来て、どこへ行くのか。クーポンが乱れ飛ぶ世の中で、振り回されずに生きていけたらいいね。
5日
コピーを覚えようとしない老人たち。やればできます。ほとんどが食わず嫌い、機械嫌いのやらず嫌いだろう。
コピーはそんなに難しくありません。簡単なことをなぜ覚えようとしないのか。どうしてもツンツン対応になる。お年寄りにしたら、「あんなデカいマシーンを攻略できるわけない」とあきらめている。
「壊したら大変」と思っているかもしれない。急所をつくようなボタンは、見えるところにはありません。では、なぜだろう。
失敗するのがイヤなんだろうな。前も書いたけど、「分からない」という状態もイヤ。保留する耐性、自分で試行錯誤する根性が年を取るとなくなるということか。
女性は「お願~い」と店に入ったとき、懇願するよう顔をする。ねだられても困る。「簡単ですから隣で教えますから、やってみて下さい」と言うと素直にやろうとする人が多い。
今日の女性も自分で果敢にチャレンジする。紙を下に向けて置いて、用紙サイズを決めてスタートボタン。用紙サイズは紙を置くところにメモリが付いてるから分かりますよ。「ありがと」。「お金を入れないと動きません」と言うと笑う。お互い、ほのぼのしておわった。
今日の男性も頑なにやろうとしない。「お金を入れてください」と去ろうとしても、「お金ってどこだよ、待ってくれよ」と離してくれない。レジが忙しいときは申し訳ないが、後回しにする。そうすると怒りだす。怒ることではない。
もちろん、男性でもやろうとする。先週はボクでもやったことない新技を、その場であみ出した強者の男性がいた。その人も、最初はコピー機にビビりまくっていたが。「頼むから教えてくれよ、頼む」。数分後には達人に変身してました。
「頼みかたが丁寧」+「教えると自分でやろうとする」=「ありがとう」と言って帰っていく。この公式はありそうだ。逆もしかり。忘れ物のあるなしも比例するかな。そこは微妙か。
この差はなんだろう。怖いのは一事が万事で、なんでも人に聞いてやらない生活を続けた先にどうなるか、ということ。やろうとしてうまくいった経験がないから、よけいやらない悪循環か。できないと決めつける頭でっかちか。自分も気をつけないとイケない。
28日「偶然の間違い」
先走りと後回しは間違いのもと。
事務所で休憩中。レジから声が上がる「あっ」。なんだ?続けて「イタリアのお客さんっ」どうした。お茶と中華まんを買ったお客さんがいたらしい。中華まんを取りに行ってる間になぜかお帰りになったみたいだ。
イタリアのお客さん?さっき昼ご飯を選んでいるときにいたぞ。まだ近くにいるかもしれない。「イタリア人、まだ近くにいるかもしれないぞ」。外を見に行く。
いたっ。外でなんか食べてる。
レジで手が空いてる子に中華まんを届けてもらう。まだ間に合う。出動っ。よかったよかった。いたいたイタリア人。声をあげたレジの子に「イタリア人いたぞ」と報告。
なにイタリア人って。え?だからイタリア人。違う、私イタリア人なんて言ってないから。
聞き間違い? あ、お届けの女の子。「違う違う、イタリア人、違う」。案の定、女の子が外でイタリア人相手に恥をかいている。追いかけて、女の子に説明。イタリア人、誤解が解けて盛り上がっている。わけが分からない女の子。「ごめん、イタリア人じゃないみたい」。
何と聞き間違えたか考えてみよう。うーん。たぶん「あっ?」「どうしたの?」「イタリア人じゃなくて、「どうしたの?」のあとに「いつ買ったの?どこ行ったの?」と付け加えていたかもしれない。その答えが、
「今、いた。ここに」
だったのだろう。「イタリア人」と聞こえて、食べ物を物色してるときに見かけたイタリア人がフラッシュされて、よく確かめもせずに、一時を争うから、早合点をしたのだろう。
一円玉がレジの前に落ちていた。両替の途中で手がふさがっているからお金をしまってからにしよう。お金をレジに入れて一円玉を拾いに行くとお客さんがいる。
足元でお客さんを退けてまで拾うことでもない。少し離れて待つ。また用事ができる。一円玉はあとにしよう。用事おわる。戻るとまた、お客さんが。うしろで待つ。まさか、お金とか落とさないよな。そうしたらめんど……
「チャリーン」
えー?お客さんがお釣りの500円玉を落とす。うそー。「ああっ」と、お客さんが慌てて500円玉を拾う。そのまま立ち上がってくれ。
「あ、もう一枚」
一円玉も拾ってしまう。まさか、はある。いやいや、チャリーン、チャリーンって2回音がしました?それに、一円玉ってアルミよ。音が全然違うよ。でも、完全に自分が落としたと思っている。
「それはお客さんのお金ではありません」と言っても「ボクが落としました」と言われるだろう。違うと説明しても「証拠を見せろ」と言われた、ちょうどカメラが見えない位置だし、床の一円玉を映し出すほど高性能でもない。音だって拾えないだろう。アルミだし。
もやもやしてるうちにお客をが帰っていく。どうせ拾っても取りに来ないだろうから、募金箱に入れるつもりだったけど。
後回しはアカン。
そして、先走りもアカン。
10月30日
住所不定・無職・仕事の見つけ方。と、検索しようとしたが止めた。なぜ止めたかというより、なぜ調べようと思ったか。
諸行無常の地に、小屋を建てるという話をしたかしなかったか忘れたけど、小屋を建てるつもりだった。
「小屋を建てる」ということでテンションが上がっていた。だって自分で家を建てるって、たいしたことないっすよ、と思いながら、人に話しながら、どこか得意になっていたのだろう。
ホームレスの人が家を作っている本を読んだ。単純に「ホーム・レスではないだろ」は置いといて、彼らは一ヶ月に一回お役所の人間に家を破壊される。
正確には「土手にあるのものはすべてゴミなので、捨て」られるそうだ。10年以上前の本だから、今はどうか分からない。オリンピックがあったから、もう建てる場所すらないかもしれない。
彼らは家を壊されたら困るから、その都度、家を解体するのだ。しかも、たった二時間で。更地にしてさいごはホウキで掃除までして。土手の上から、あるいは近所の公園でお役人とお役人が連れてきた業者が帰るのを待つ。礼儀正しい。たぶん、他の場所よりキレイ。
立ち去って一息ついて、彼らは戻ってきて家を建て始める。インドの駅で見た光景を思い出した。駅で寝泊まりしてた人たちが、夜中の掃除の間だけ、出ていく。
掃除がおわったら、なにごともないように戻ってきて、なにごともなかったように寝ていたな。とにかくたった一時間で、解体する半分の時間で彼らは
「家を作ってしまう」。
もちろん一からではなくて、四面の壁はそのまま残している。その際、釘は抜かない。すぐトンカチで叩けるように工夫している。
細かいとこは分からないが、壁をトントン30分も掛からないで家の輪郭ができるだろう。そこに床用の木を何本かトントン、その上にベニヤ板を乗せて床のできあがり。天井にも何本かトントン、そこにブルーのビニールシートかけて、さらにヒモで固定して
「はい、できあがり」。
あれこれ考えて家を作るのがバカバカしくなってきた。どうせいつか壊すのだし、不具合があっても土台をしっかり作ってしまったり、手間のかかる構造だったら直すのがめんどい。
といって、ご近所の目を考えるといきなりブルーシートの家の出現は「彼らが現れたのか」と通報される。ブルーのシートじゃなきゃ、大丈夫かな。
などなど考えていると「固定した土地に家を建てる」という発想に疑問が生まれる。もちろん、公園とか土手に家を建てるのは違法なんだろうけど、そういう生き方も面白いと思う。
日本を知りたいから、正確には日本人、現代人か、そのために日本の津々浦々を移動したいと思っていた。できれば働きながら。一定時間住んで、一定時間働かないとなにがなんだか分からない。
そのとき、移動した先々でその土地の廃材(彼らの家はすべて廃材)で家を建てて一か月ぐらい住みながら、働きながら観察する旅が思いついてしまった。
だから、正確には住所不定・無職ではないが、検索しようと思ったのだ。
と言いながら、今はどっちでもいいと思っている。それよりも年齢的にそこそこの小屋を作るにはタイムリミットがあるな、と感じていたが、その縛りがなくなった。ちなみに取材を受けていた人は59歳。壁を解体して持ち上げている写真があった。スゴイな。とにかく、
そんなに急いで家を建てなくてもよさそうだ。
これが一番の収穫かもしれない。取材された人は追い出されて、ホントにそんな生活をしてるかもしれない。「そうしたい」とも言っていた。夢のある話と結んでいたが、それよりも「サバイバル」という発想で、なんともうらやましい、そして、自由な人だと思った。
インドの駅にいた人たちを思い出した。考えるとあの人たちは、あの人が家なのでは。荷物は持ち運べるだけ。寝転がって荷物を置いたところが家。そうしたくて、そうしてるワケではもちろんない。ただ、考えされられる。
31日
どうやら、たぶん、ご健在のようだ。会いに行ったわけではないが、建物を見たかっただけだが、はたして。
外国人の観光客がごった返している。すっかり小奇麗な観光地になっている、川沿いの通り。ブルーの家はこちら側にも川の向こうにも見えない。
スカイツリーのナイスビュー。観光船が行きかう。できたばかりのスカイツリーを見に行った。予約制で抽選で地元の人間が優先で、一般人はほとんど「高みの見物」で登れなかった。見上げるだけ。それでも
デケーな。
「あの」と声をかけられる。手にはスカイツリーのチケット。「これ、おばが来れなくなったので、もしよかったら」。信じていいのか。ニセモノ、を売るような人でもない。ありがたく買う受ける。おばさんの分まで、おばさんの生霊を背負って登ってまいります。
景色は覚えていない。超高層ビルの美術館とか、高いところに何回も行っている。目新しさはない。飛行機に乗ってからは尚更か。当時、世界一という情報をありがたく消費させてもらった。
この距離で見るスカイツリーはキレイだけど、高さは感じない。それより、土産で買ったボールペン型のスカイツリーを思い出して、それに見えてくる。大差ない。
川沿いを歩く。観光客の姿が見えなくなる。地図に載っていた場所に近づく。たぶん、ないだろうな。あれから15年ぐらい経っている。76歳か。
「え?あったっ」
想像してたより一回り小さい。白とブルーのビニールハウス。あれから15年、ここで生活してきたのか。実物と対面して、気後れする。15年の歳月。ボクみたいに適当に働いて寝転がってきた生活じゃない。それはそれでいいと思う。
人の気配がしない。黒いヒモでビニールの家をぐるりと上下に一本ずつ縛っている。昼寝の時間だけどな。これ、外から縛らないと無理だよな。錆びた自転車がある。もう一台、海外赴任の人から貰った自転車がある筈だが、ない。なんだろ。
家だけ残っている?それは、考えにくい。一か月に一回の行政の手入れがあるはずだ。家が残っているということは、少なくても手入れをやり過ごして、またここに家を建てたということ。一か月は経っていない。銭湯にでも行ったか。
このワンサイズ小さいリフォームはなんだろう。おそらく、同居していた人がいなくなったのだろう。人ひとりが生きていけるサイズがこれか。年季の入った道具を眺める。
グルグル巻きの家から手品師のように〇〇さんが出てきたらどうしよう。あるいは、後継者かもしれない。どんな話をしよう。生活より建物についてだろうな。
病院か、路上か。突き詰めればそうなる。この人はどんな最後を迎えるのだろう。川の向こうにブルーのシートがチラホラあるのに気づく。少し歩けば観光客。ホントに世界は薄皮一枚だなあ。
11月23日
東南アジアの若夫婦がアパートの契約が切れて路頭に迷いそうだ。お金は稼いでいるので、問題はないようだけど、なかなか本契約まで至らないようだ。
外国人だからだろうな。不動産屋はオッケーでも大家さんがNGとか、「直前で他の人に決まった」とか、これも大家さんNGだろう。
来週の半ばまでに退去させられる。ゲストハウスとか泊まりながら探せばいいが、気乗りしないようすだ。ホテル暮らしか。難民になる前に決まってほしい。
その間、荷物をどうするということで「どうすんの?」と聞いたら、バイト先のゴミを入れる倉庫に置くと言う。いやいや、それはちょっと。ゴミがマックスに入ってるときは入らないし、間違って持っていかれたら……。そもそも汚いでしょうが。
行きがかり上、ボクの部屋にとりあえず入れることになる。正確には廊下というか、キッチンというか。一週間ぐらいならいいだろう。なにか言われたら部屋に入れればいい。足の踏み場もなくなるが。
これはイイことなのか。「そこまでするのか」と、言われるだろうけど、「そこまでしないのか」と言われないのも不思議だ。
テキトーにできることをすればいい。
異国で、しかも真冬で伴侶を連れて難民はマズい。同情というより、呑気に「引っ越し先延ばしプレイ」をしている自分が、いかに恵まれてるか思い知る。
このままアパートを更新できるし、実家に帰れるし、更地に家を建てられる。なんだったら、店に三日ぐらい泊まれるかもしれない。彼らが断られたアパートも余裕、ではないが契約できるだろう。
半年近く一緒に働いて、普通にいい子たちだから申し出たわけだけど、ボクが異国で同じ目に遭ったら泣くだろうな。彼らは泣いても国には帰れない。ホント、恵まれている。
12月1日
東南アジアの夫婦が荷物を取りに来る。
持ってきたときと同じようにせっせと荷物を運ぶ若ダンナ。奥さんの姿は見えない。奥さんは働き者なのにな、外で車の見張りでもしてるのかな。
若ダンナから食事に誘われて、断り切れずにお受けする。おごってくれると知ってたらお腹を空かせて待っていたのに。全国区の商店街なので、食べるとこはいっぱいある。カレーがおすすめだけど、ダンナはラーメン。朝から何も食べてないらしい。ホントにタフだ。
ただの行きがかりで、そんな親しくない東南アジアの夫婦となにを話すのか分からなかったけど、日本語検定をダンナが受けた話を思い出して、その話をする。
3級まではなんとか合格できるらしい。ちなみにダンナは4級を受けた。奥さんが3級。最初は5級からだそうだが、ダンナは現場で鍛えたから余裕で飛び級らしい。「2級はなんでダメなの?」。二人は声をそろえてあきらめたように言う。
「ドクカイ」。
「どくかい?」。なんだそれ。「毒会」?。聞き間違いか。スマホで文字を見せてくれる。
「読解」。
はいはい。文章を読んで理解できるか。二人ならできそうだけど。そこら辺のメニューのうんちくを手当たり次第に読んでもらう。ほとんど読める。なんでダメなの?
「カンジ」。
漢字ね。一から覚えるのは大変だろうな。メニューの「胡麻」が読めない。読めなくていい。
練習問題を見せてもらう。長い文章問題。これを読んで内容の説明か。うーん、二人とも普通に読めてるけど……。問題は内容に関することではない。文章をつなぐ「接続詞」。
正解は「ましてや」。
ボクも最初は分からず、結構本気で読んで正解できた。「おおっ」と言って驚いている夫婦。日本人でも難しいと思うよ。日本語検定で落ちる日本人は普通にいそうだ。
問題のための問題。「ましてや」。こんな言葉、日常でほぼ使わない。だから試験が嫌いなんだよな。時間とエネルギーがもったいない。試験を作る人たちの謎の基準で作った「問題」に付き合う気がしない。
食べ終えて駐車場に戻る。道を間違えて奥さんに笑われる。この時間に商店街を歩くことはないからな。笑顔で去っていく夫婦。これからどんな日本ライフが待っているのだろうか。
なにもないキッチン。荷物がある風景になじんだ分、少し拍子抜けする。夜中、トイレに起きる。「そういえば」と荷物があった場所を見る。なにもない。ホント、もと通り。次はボクの番か。