「風呂の順番」

昨日、間違えて一番シャワーに入ってしまった。風呂もシャワーも入る順番が決まっていて、ボクは最後か、その前だ。最初は、弟。いつもの時間、最後かその前の時間に、なにも考えずにシャワーに入った。違和感はいっぱいあった。

とりあえず、足ふきの向きが縦長ではなくて、横長だったし、いつも脱衣所の扇風機が回ってるのに、風呂場の入り口に椅子と桶が置いてあるのに、それを全部スルーして風呂場に入った。風呂場に体を洗うためのタオルがないのき気づいて勘違いに気づく。

なんで勘違いしたのか考えると、エアコンのスイッチの音がしたからだと思う。弟はいつもシャワーに入るときにエアコンのスイッチを消す。

いつもの時間にエアコンのスイッチを消す音がして、いまにして思うと「設定温度」を変えただけだったけど、そのあとは階段を駆け下りていく音もしなかったけど「エアコンのスイッチの音=シャワーに行った」と思い込んでしまったようだ。

ちょうど「あっ」となったときに、弟がシャワーのために階段から降りてくる音がする。「先に入ってスイマセン、わざとじゃないんです」という言葉が頭に浮かんできた。

ありがたいことにUターンしてきたときほどの慌てなかった。慌てるもなにも先に入ることはなかったけど、弟の都合でシャワーなり風呂の時間が遅くなるのが我慢できずに「待てるかっ」と、一回だけ一番シャワーに入った。直後、弟が階段を下りてくる音を緊張して聞いた。

そのときより、昨日は緊張しなかった。「実家で誰が先にシャワーなり風呂なり入ろうと、文句を言うわれる筋合いはない」と開き直ったからか、居候の立場に「なじんだ」からか。「開き直り」にも「居候のなじみ」にも、まだまだ「力み」がある。

そもそも、なんで卑屈なのか。Uターンして居候の立ち場だからだろうけど、働いている人にそこまでへり下ってしまうのか。そういえば、テーブルの位置も弟が上座で、弟は朝ごはんを食べないから、朝はボクが座っている。

たまに弟も朝ごはんを食べるから厄介で、弟が階段から降りる音がすると、慌てて茶碗とお椀とおかず皿を下座に移動する。下座で食べるときは、文字通り「肩身を狭めて」食べている。

肩身を狭めて食べると背中も丸くなる。顔も下向きになる。口も小さなくなるし、嚙み方も小動物のようにチマチマする。調味料に伸ばす手も最短距離で最後に最小限だけ使う。

そんな兄貴を見て弟はどう思っているのだろう。働いてるからエラいと思ってないだろし、そういう態度も一度もない。母親も、心配はしてるだろうけど「のけ者」扱いはしない。

働いてない「後ろめたさ」から卑屈になってるだけなのか。働いてない後ろめたさはどこからくるのか。さらに、後ろめたさがなくなってきたのはどうしてなのか。

大人は働くという「勤労の義務」があるからそう思うのか。なるほど、憲法から来ているのか。実家にお金を入れてるし、税金も払ってるし、「働け」ってようするに、そこが目的で、それなら問題ないのような。

憲法が風呂の順番を決めてるわけでも、朝ごはんの座る場所を決めてわけでもなさそうだ。弟が仕事をやめたらどうなるだろう。ボクが仕事を始めたどうなるだろう。風呂順も朝ごはんの位置も変わらない気がする。余裕は生まれそうだ。「はい、どうぞ」って。

この余裕、ね。どこから来るんだ。「働いている」があたりまえの、みんなと同じ安心感。家族にみんなとか、社会とか持ち込むのはシンドい。でも、人間は社会的な動物だから仕方ないのか。

働いてる人の「余裕」を、働いてない人が感じたらどう思うか。という「想像力」もまた、人間にはある。そのせめぎ合いをできるか。その「余裕」があるか。

前者が動物の余裕(優越といっていい)と、後者が理性の余裕。後者の余裕をどれだけ持てるか。「余裕」を作る生活、育てる生活とはどんな生活か。「自由を得る方法」と言ってもいい。

みんなと、社会と違う生き方をする人は考えた方がいいし、考えざるを得ないだろう。一度も考えないのは、それはそれで、最後までよろしくお願いします。

関係ないけど「風呂順」の語呂合わせで「不老順」が浮かぶ上がる。なかなか面白そうなテーマだけど、なんとなく分かる。

さて、風呂順と朝ごはんの位置が変わらない理由に「実家歴」のようなものも横たわってる。これは、後ろめたさをなくなってきた理由の一つでもある。働かない後ろめたさがなくなってきたのは、実家歴が増して「なじんだ」からか。

実家歴というより「実家居座り歴」が長くなってきたからだと思う。

社会からある程度、距離と時間をおくと「働く」というあたりまえがなくなってくる。働くとはどういうことか。人間の価値とうんぬんじゃなくて、普通に生きてけるし、生きてりゃいいじゃんと思えてくる。実感として、分かる。

実家居候生活のすすめじゃないけど、その「気づき」に実家はもってこいだ。実家の人たちが「自立した大人」だったらの話だけど。

弟も母親もそうなのかな、これから荒れるのかな。あきれたムードは、ひしひしと感じる。

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