10年前、海外ひとり旅をした。ベトナム、カンボジア、タイ、インド。10年後に同じところに行って、自分の変化を知りたかった。でも、行かなかった。パスポートの期限が切れていた。
2回目からは、行くことが目的になっていて、その「予定通り」には全然、進まないけど、ギリシャで前日まで通常タイムだったのに、当日にサマータイムに切り替わってたり、大変は大変だけど「そんなもんか」だったし、無人ホーム待ってるあいだも「ココでなにやってるんだろ」と覚めていた。
なんでそもそも、ひとり旅をしようと思ったんだろ?
1回目の旅は準備も含めて、すべてが初めてで楽しかった。2回目だから楽しめないのだろうか。確かめるように3、4、5回と旅をした。キューバの山奥、だいたい地球の反対側まで行ったけど楽しくなかった。
書きながら考える。ひとり旅はよく「ジブンを探しに行く」とか「ジブンを変えるため」とかいうけど「自意識」というものがある限り、どこにいっても同じなのではないか。
「ジブン」というフィルターがあるかぎり、近所のコンビニで新発売が出ても、キューバの山奥の結構な断崖の坂道でバスが坂に負けてズルズル後退したときも、起こったことがそのまま入ってこない。「見たことあるパンだ」、「ポイントカード忘れた」、「バスが日本の中古」「エアコンが寒すぎる」とか、あるいは「このことは親には言えんな(苦笑)」とか。
1回目の旅が楽しかったのは、いろいろ大変すぎて「ジブン」という意識がなかったからじゃないか。そのままを受け入れて、なんとかその日その日を乗り切ってたからなのでは。
夜にムンバイの飛行場に着いて、ムンバイの街に向かうのに「市電」はありえん選択だけど「えいっ」と思い切って乗ってときの光景はスゴかった。空港のバスで市電の近くに降りて、駅に向かうだけでもライトが青暗いし、異様な熱気だし、やたら散らかってるし。
駅員は切手を投げ捨てるし、電車の中は金網だらけだし、女の子が急に現れて歌い始めるし、ずっと説教してるおじいさんもいるし、全員、疲れたインド人だし。世界遺産の駅に降りてひと息ついても、駅前はカオスだったし、生きてホテルにたどり着けるか分からんかった。
じゃ、またムンバイの市電に乗るような旅をすれば楽しいのか。と、考えてるジブンがいるかぎり難しいだろう。なにがあっても「 」付きで、分別するジブンがいそうだ。
「ジブン」という自意識がなくなれば、楽しくなりそうだ。と、考えるのもまたジブン。どこまでいってもジブン。ひとり旅の1回目はジブンがなかった。旅をしようと思ったきっかけはなんだったか。
ジブンそのものじゃなかったか。「ジブンをどうにかしたい。このままじゃ、ヤバい」。
1回目の旅にもジブンはあった。でも、楽しかった。楽しかったと思ったのは帰国してからじゃなかったか。味わう余裕なんてなかった。12時間電車が遅れて、飛行機に乗り遅れたときは途方に暮れたなあ。夜中にたどり着いたニューデリーの駅は野良犬のフン、宿のない人たち、駅員を装った詐欺師、乱暴な清掃マシーンと遭遇。楽しめるか。
「若さ」なのかな。なにかあったとき、あとさき考えない、見返りを求めない、バカと言ったらそれまでだけど、バカにならない、なれない旅は、旅をする価値がない。2回目からは、そのことに気づいたのかもしれない。
最初のひとり旅は、いま考えると「若さ(30過ぎだけど)」と「未知」、この2つがあったから楽しかったようだ。恵まれた条件だったんだなあ。
そして、10年。10年後に同じルート、同じ宿でジブンがどう感じるか。それが楽しみだった。でも、ジブンを連れて行く旅は、旅というより「ジブンツアー」。ジブンの機嫌を取るための旅には出たくない。
パスポートの更新もやめた。旅はしたくてもできない。だから、ボクの旅はおわった。
ホントにそうかな。「人生は旅」というけれど、ジブンがなくなれば、旅はできるのではないか? ひとり旅の経験を考えると、そうなる。
遠くにいかなくても、実家暮らしでも楽しいのではないか。
その通りとはいえないけど、ジブンという自意識の濃淡が楽しさのカギを握っているのは確からしい。「ただ、やる」。ジブンからの解放が楽しさを生む「ヒケツ」かもしれない。
初めてひとり旅する人は、うらやましい。あまり計画を立てて旅をしないで、いや逆に、計画した方がその通りにならない楽しさがあるからどちらでもいいけど、分別が生まれる前に旅に出た方がいい。
ジブンはひとり旅をイヤがる。ジブンがいなくなるから。つまり、ジブンで考えてもムリ。
ひとり旅をダラダラ続けるのは初めてのひとり旅の貯金があるからで、でもその貯金が増えることはない。貯金がマイナスになる前にひとり旅はやめよう。
気づいてると思う。そんな日常と変わらない。変わらないことを確認する旅は、おわり。
「ひとり旅の貯金はしかし、人生の投資」になる。こんな臭いセリフに反発より、しみじみうなずくボクも、ひとり旅のやめ時をとっくに過ぎていた。