「ないものねだりオジサン」

まずはある日のオジサンの日記から。

2024年8月9日「拾いに行くべきか、洗濯バサミ」

洗濯バサミだったら良かった。胸を張って取りに行けた。じゃなくて、その破片1㎝未満が隣の豪邸に落ちた。

その日、朝から日記を書いて洗濯機を回す。日記を書き終えて、洗濯機を待つ。マクラカバーのカバーをカバーした玉結びが崩壊して地肌が見える。洗濯機がおわるまでにできるかな。ま、無理だろ。やってみるか。それが間に合う。玉結びは相変わらずたまたま、玉結びだが。

今日はいいね。と思って洗濯物を干そうとしたとき、それが起きた。太陽の光で劣化したプラスチックの洗濯バサミ、そのつまんで広げるところがポキッと折れる。

つまみの右側は、数週間前にポキッと折れた。その時は洗濯バサミの真ん中のみぞに落ちて事なきを得た。根本から折れたわけでないから、そのまま使う。

丁寧に扱えばいいのに忘れてポキッ、ポキッ、と1mmぐらいずつ折れていった。折れた破片は、その度にみぞに落ちるか指に張りつくから、懲りない。

今日も、ポキっと1mm折れる。さすがにつかむところが無くなる。ここであきらめて洗濯バサミを捨てればよかった。でも、あとの祭り。

左側は無傷じゃないの。左側のつまみを起点に右側のつまみの根本を持って洗濯バサミを押し広げようとする。折れることはないだろ。100歩譲って、まあ、溝に落ちるだろ。

ポキっとやや大きな音を立てると、あっという間に左側のつまみが飛んで行った。「あっ」。反対の手に持ったシャツ越しにその光景を見る。まずは窓枠に落下して、そのまま隣の家のエアコンの室外機に着陸。

それでもいきおいは収まらず、コロコロとその室外機の裏にポトリと落ちる。その間、3秒もない。ボクには永遠に感じられた。実際、永遠に洗濯バサミが落ちなかった未来は失われたのだ。

どうする?取りに行くか。前にも書いたけど、隣は1メートルも離れていない。敷地も入れると15センチか。つまり、塀の幅しかない。なにも落とせない。落としたら100%あちら側に落ちる寸法。

破片の大きさは1cmちょっと。なんて言えばいい。いっそ他の洗濯バサミなり、ハンガーを落とすか?それも違うか。この破片のために、朝から暑いのに、チャイムで呼び出されて拾うまで付き添わされて、迷惑千万じゃないのか。

それに届かなかったらどうする。エアコンの室外機はどう見ても家庭用じゃなくて、業務用。しかもそれが二段に積み上がっている。コロコロ転がって落ちた位置が、ギリギリ手が届く範囲。いけるか。

忘れていたことがあった。家でピーナッツを食べた時のことを思い出して欲しい。ポトリとピーナッツが落ちる。どうなるか?足元の床に張りつくか。否。跳ねて、信じられないぐらい遠く転がっている。

洗濯バサミの破片もそうなのでは?二階のアパートからから、室外機の二階から落ちてその場で静かにしてるわけがない。左側に飛んだら姿が見えるはず。でも見えない。ということは、やや左側か、これなら手が届く。

正面でも届く。やや右側から難しい。トングがいる。勢いよく右側に飛んだらお手上げ。もしそうだったら、あきらめるしかない。というか、その前にあきらめて。こんな隣人がいて「真面目な人ね」と思うより、めんどうで、かなり引くだろう。

たぶん、お手伝いさんだから、よけい、家の敷地に入れたくない。前に物干し竿を落下させて、このお手伝いにご厄介になった。物干し竿でも敷地に入れないのに、洗濯バサミの破片なんて間違っても探させてくれないだろうな。

普通は、お互いスルーだろう。しかし気になって洗濯が手につかないのはなぜか。こんなアホなことをする自分を受け入れるのがイヤなのか。それも、あるだろう。目の前がベランダか庭だったら「あーあ」。拾って終わり。冷静に考えたら、そこまででもないか。

「拾いに行きたい」が収まらない。たぶんこの豪邸、30年は取り壊しになることはないだろう。その間、室外機の裏に洗濯バサミの破片はあり続ける。もし室外機の外にちょっとでも顔を出してたら、庭師の人が気づいて拾ってくれるだろう。それも、ないのか。

一瞬で「洗濯バサミの破片が30年室外機の裏にある未来」が決まってしまった。この取り返しのつかなさに耐えられない。頭にこびりついた記憶。再生されるスローモーション。

「一瞬一瞬が人生を作る」。良くも悪くも学ばされた。拾いたい。ああ、でも、あきらめよう。

PS

隣の家を通りすぎるときに、玄関のチャイムを押したい衝動をなんとか抑える。部屋でモヤモヤ考えてたときより、少しだけそれが収まっている。あれはなんだったんだ。

                                     おわり

これが一年ぐらい前の「ないものねだり」。仕事を辞めてUターンして人生を考え直して少しはマシになったか。

実家に帰って一か月ぐらい。実家の庭を挟んで兄貴のおニューのマイホームがある。実家の伸び散らかった木蓮が、兄貴のマイホームを攻撃しそうな勢いで立っている。

居候の気まずさから木蓮の枝の伐採を申し出る。チェーンソーですぐに終わらせたかったが、母親の「ノコギリの方いい」という提案に従う。

足首ぐらいの太さの枝。これは枝か。ノコギリ片手に脚立から木の上に乗り移って、隣の家に飛び出た枝をギーコギーコ押したり引いたりする。終わらん。

と、兄貴の家から甥っ子の声がしてくる。そういえば名前も歳も知らないな。兄貴と嫁さんと甥っ子の楽しそうな声が聞こえてくる。

「ボクは、なにをやってるんだ」と、思わずノコギリの手が止まる。もしかしてボクの人生、取り返しのつかないぐらい変なことになってるかもしれない。洗濯バサミの比ではない。

待て待て。ここは早めに切り替えないと地上に降りられなくなる。慌てて頭を切り替える。よしイケそうだ。でも、もう少し考えた方がいい気もする。

「あっ」。予想以上に深く切り込んでいた枝が落ちていく。兄貴の家の室外機がっ。なんとか庭に方向を変えようとするが重くて掴めない。枝は実家の庭と兄貴の家の間にあるアルミの柵の上にガツンと落ちて庭に転がる。助かった。

見ると、アルミの柵が凹んでいる。なんでもっと注意しなかったんだ。人生とか考えてなる場合か。枝でしょ。凹んだアルミ柵から発してくる無言のプレッシャーに押しつぶされそうになる。夢遊病者のように凹んだアルミの柵をつまんで凹みを直そうとする。マヨネーズの容器か。

なにも変わっていない。人生をしくじったことより、アルミの柵に振り回されている。じゃ、今から人生をしくじったことを考えるか。考えても仕方ないことがある。問題が大きすぎると、開き直ってしまうのか。

よし、これからのことを考えよう。なにがあっても「ああしときゃよかった、こうしときゃよかった」と「ないものねだり」しないようにするにはどうしたらいい? わ、分からん。

「お亡くなりになるとき、ないものねだりしない方法」。誰か教えて下さい。え、教えてくれるんですか? ありがとうございます。それをすれば「お亡くなりなるとき、ないものねだりしない」んですね。でも教えてくれたことしてお亡くなりになったら、ないものねだりしまくりそうです。いえ、疑ってません。

ちなみに「お亡くなりになるとき、ないものねだりしなかった」って、なんで分かるんですか。まだ分からないのか。お亡くなりになってるんだから、ないものねだりのしようがないだろ。

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